こんな最寄りに衝撃的な教育を実践している小学校があるなんて、知りませんでした。伊那市立伊那小学校は、昭和52年から実に30年以上も通知表無し、時間割無しの、素晴らしい教育を実践されている様です。
通知表無し、時間割無しは結果であって、その課程が素晴らしい。今回紹介されていたのは、小学校一年生から豚を育てながら来た3年生のドキュメンタリーでしたが、タダ育てるだけで無く、繁殖させ、堆肥を作り、野菜を育て、飼料代を捻出しながら、出荷をしたり、最後は繁殖用としてお別れがある…
育ててきた豚とのお別れでは、本当に心底から悲しんでお別れ。そんな姿は久しぶりに見ました。
これぞ、本当の教育のような気がしました。小学校としては本当に理想的な教育をしているような気がします。既に30年以上、しかも公立小学校で行われているとは知りませんでした。私の子供も、ここに行かせたかったなぁ…
伊那小学校OBです。そんなに良いものではありませんよ。中高に進むと学力の遅れが顕著になります。塾に通うなど補習的な学習ができなかった同級生は皆、ドロップアウト。グレる子も多々いました。
投稿情報: とおりすがり | 2013年10 月 7日 (月) 22:31
伊那小OBです
上述の通り、中学校に進むと、他の小学校の児童との学力差っが大きく、地元保護者は、伊那小に通わせる位なら、他の通学区に引っ越して、まとも?な授業を受けさせたい、と願います
また、時間割の無い事から、時刻を知らせるため、校外にかなり大きな音量で、お掃除の時間、給食の時間、朝の時間、アナウンスと音楽
近隣住宅は迷惑しています
担任に決まった時間内に授業の起承転結ができない、そんな、ダメ教員も養育してそうですよ?
普通の時間割なら、時間内に、今日の起承転結、担任が考えますもんね
伊那小学校が通学区の児童がかわいそうです
投稿情報: おとは | 2013年11 月15日 (金) 12:09
とおりすがり様、おとは様
コメントありがとうございます。今の日本の教育って、中途半端なような気がしてなりません。伊那のような実験的取り組みがこれだけ長く続いていることに驚きました。
学力的な問題は多々あろうかと思います。公立でほかに選択肢がない…というのも問題ですね。本来なら、こういった取り組みは、国公立大学の教育学部などがやるべきなのかもしれません…
投稿情報: allcare伊藤 | 2013年11 月21日 (木) 12:39
はじめまして。
伊那小の出身者です。妹が今も伊那小に通っています。
>通知表無し、時間割無しは結果であって、その課程が素晴らしい。
否定してしまって申し訳ないですが、全く素晴らしくないのです。
総合の内容は、表向き子供たちが決めたことになっていますが、
実際には先生に誘導されているだけです。
先生は「君たちが決めなさい」と口では言うけど、巧妙に自分の決定に
誘導します。動物を飼うことだったり、人形劇だったり、色々です。
毎日先生の趣味に付き合わされ、普通の勉強も体育もやりません。
伊那小の子供の多くは、勉強も運動もできません。跳び箱が全然飛べなかったり。
当時の同級生たちは卒業後、グレている人が大勢います。
当たり前です、中学に入ったら何も分からないんですから。
九九も出来ないような人が大勢いるんです。
伊那小では通知表もないしテストも殆どしないので、自分のレベルが分かりません。
地元の新聞やケーブルテレビに出てチヤホヤされて
「自分はエライんだ!」と勘違いしてる人ばっかり。
それが中学に入ったとたんに「自分はただの落ちこぼれ」と思い知らされるんだから
グレるのも当然です。
妹は、2学期の教科書を、先週受け取りました。もう2月の終わりですよ?
まあ、配ったところで、授業をしてくれるワケでもないですけどね。
うちは塾に行ったり親が勉強を教えてくれるので、そんなに世間と乖離していませんが
親が伊那小に何も疑問を持っていなかった場合は悲惨です。
残念ですが、伊那小の教育は有害です。
投稿情報: ごめんなさい | 2014年2 月27日 (木) 23:17
伊那小で大事なのは
「先生が考えていることを先回りして、自分の意見のように言う」ことでした。
「何を言えば先生が喜ぶか」「いつ泣いたら先生が喜ぶか」
これを上手くやれる人は先生に気に入られていました。
通知表もテストもない、先生を喜ばせたり、マスコミで褒められることが全てですから。
自分は「こういえば先生が喜ぶだろうな」と分かっていたけど、思ってないことを
言うのは嫌だったので、言いませんでした。
「今泣けば先生に気に入られる」と分かっていても泣けないので
下を向いて泣いているフリをしたこともあります。
先生は授業を殆どせず、学年末になれば生徒に
「お前らがやる気がないから、授業が遅れた!」
と逆ギレするので「はあ?お前のせいだろ!仕事しろよ」と何度心の中で
突っ込んだことか。とうとうガマンできなくなって、年度初めに
「今年は総合よりも普通の授業をして下さい」と先生に言ったら
「お前は人間的に欠陥がある」「お前は伊那小にいらない人間」と言われました。
友達は「勉強したいなんておかしいんじゃないの?」とバカにしました。
伊那小では、普通の勉強は軽蔑されるのです。
でも先生にゴマをすっていた友人たちは今、みんな落ちこぼれたりグレたりしています。
伊那小は先生の遊び場です。
「実験授業(?)」だとか言って、見世物にするんですから!
実験動物みたいに言われて本当にムカつきます。
突然、長々と書き込みしてすいません。
伊那小には今でも色々と腹が立ってしょうがないので、つい書いてしまいました。
妹は今でも伊那小で変な洗脳教育を受けているので、親兄弟が家で勉強を教えています。
先生にクズ呼ばわりされても普通の授業を受けたかった。
中学・高校では努力すればきちんと成果がでる、先生へのゴマすりが全てではない。
天国というワケじゃないけど、すごく開放されました。
総合教育が素晴らしいなんて、とうか思わないで下さい。普通の教育こそ、素晴らしいのです。
投稿情報: ごめんなさい | 2014年2 月27日 (木) 23:27
現在の伊那小に子どもを通わせている保護者です。
ごめんなさいさんが仰られていることは、我が子にはひとつも当てはまりません。
テストも宿題もありますよ。
宿題は毎日結構な量です。
体育もありますし・・・。
どの小学校に通われていても、成績の差は生まれますよね。
まわりに親戚も含めて伊那小の卒業生が多くいますが、皆それぞれの道に進んでいます。
有名私大卒の方も何人もいます。医者もいますし、弁護士もいます。地元企業に就職された方もいますし、他の小学校を卒業された方と何等変わりないと思います。
ちなみに私はごめんなさいさんが仰られているような東京の普通の小学校を卒業しましたが、伊那小は素晴らしいなと思っています。
伊那小のことをこんな風に書かれてとても悲しい気持ちになりましたので、コメントさせていただきました。
投稿情報: M | 2014年4 月10日 (木) 11:42
はじめまして。
伊那小はカリキュラムを担任の采配で決めるので、クラスによって全く違います。
勉強も体育もやらないクラスも確かにあります。
うちは上の子の時は完全にハズレで毎日総合でしたが、
下の子の担任はそこそこきちんと勉強させてくれましたし、
体育もありました。
>他の小学校を卒業された方と何等変わりないと思います。
違うと思います。
現に中学校では西中から来た子たちとの学力差がハッキリしています。
「伊那小出身で東大に行った人がいる」といつも言われるので
イラっとします。それは「当たり」のクラスに入ってそこそこ勉強させてもらえたか
学校に流されずにひたすら家庭学習を頑張ったか、どちらかでしょう。
公立小には「当たり外れ」があってはいけないのです。
文科省のカリキュラムは何のためにあるのか。
すべての日本国民は、平等に教育を受ける権利があるからです。
投稿情報: 雷こわい | 2014年5 月10日 (土) 01:53
伊那小学校に2年通いました。
その後同じ市内の別の小学校に転校しましたが、一クラス40人(もう30年も前の話です)中、市内の進学校に進んだ割合は伊那小学校の子供のほうが高かったです。
どこにでも存在する「落ちこぼれ」の原因を総合学習のせいにしているだけでは??
私はずっと伊那小学校にいたかったと今でも思っています。
投稿情報: 双方経験者 | 2014年5 月20日 (火) 13:05
故有り母校のことを検索したらこのコメント書き込みが目についたのでコメントさせてもらいます。
私は伊那小を誇りに思っていますよ。親も兄弟もすべて伊那小卒です(もっとも親が通学していた時は総合学習前でしたが)。
私は伊那中に進み、地元では進学校と呼ばれている高校から大学、大学院に進みました。いまは東京で小さな会社を起こしています。伊那小の友人には外資につとめている人も、開業医となった人もいます。
当たり外れということが実は良く分かりませんが、娘が通う都内の学校にも担任や担当の先生によるムラはあるでしょう。この学校は確かに先生の資質が試される学校かも知れません。
かつて、私の知り合いが伊那小学校をテレビで取材したことがありました。その時に私にも話しを聞きにきて、中学での学力差を訪ねられました。思い出すに私が中学時代はどちらかと言うと伊那小卒業生のほうが学力は高かったと思います。もしかしたら中学入学当初は遅れていたのかもしれませんが、リカバリーする力があったのかもしれません。ただ、友人に授業についてこれず、半端なくグレてしまった者もいましたが、彼も今では素敵なお父さんです。
私の仕事はリクルート的には「クリエイティブ系」に分類される職種ですが、創造力、独創力のようなものは伊那小の環境と教育の一部が大きく関わっていると思います。
これは聞き齧りですのですが、人生においてその人をカタチ作るものとして教育は5%だそうです(たしかアメリカの経済学者コトリコフの言葉だと思います)。
私が成功したかどうかは自分でも分かりませんが、今は幸せです。私の周囲の伊那小卒業者でうまく行っている人たちも自分の努力を怠らずに自分の生きる道を拓いていった人達ばかりです。
東京の学校に通う娘にも伊那小の教育を受けさせたいと思ったことがありますが、それはかないませんでした。でも、彼女は地域でそれほど評判の良くないらしい公立校でも立派に自分の道を探して歩んでいます。
自分の道を切り拓くのは自分自身ですから、学校に文句を言う前に、それを補ってあまる努力をしているのか、自分に、自分のお子さんに問うべきなのではないですか?
投稿情報: TheWho | 2014年10 月 3日 (金) 15:59
ちなみに校外放送ですが、学校から100mと離れていない実家よりも、近隣の小学校から500mはなれている東京の自宅のほうがうるさいです。伊那に暮らす両親も、それをうるさいと言ったことはないと思います。
投稿情報: TheWho | 2014年10 月 3日 (金) 16:05
こちらに書かれていることは、全て「本当」のことだと思います。しかし、そこには但し書きはつきますが。それは「他ならぬその方にとっては」というものです。教育についての言説の恐ろしいのは、極めて個別的・個人的な体験が、妥当性に関わる検証のほとんどないままに、一般的・普遍的な事柄として語られがちである、ということです。伊那小の教育を肯定的・否定的に見ることに至った個別的・個人的経緯には、全てその経緯そのものとしては同等の価値がありますし、ある方向・立場から見た場合には、それらは全て「本物」です。しかし、それ「だけ」が「本物」ではないということをふまえて、ここに記述された貴重な体験を読むべきだと、通りすがりのものとしては感じました。
投稿情報: 通りすがりの者 | 2014年10 月 7日 (火) 17:35
私も伊那小学校です。卒業したのが52年でした。その前はまるばつの通知表がありましたが評点はありませんでした。
小学校時代に塾に行ったことはありません。学力は低かったですが中学でみんな伸びます。
東京からUターンIターンできた子供は最初はできるのですが直ぐに抜かされます。
多分小学校時代は体力や道徳を身につけ中学で学び始めるのが理想なのかもしれません。
伊那北高校からでも京都大学や東京大学にも受かります。
わたしはこの伊那小学校を誇りにおもっており、卒業し健康に生きてる自分に感謝しています。
投稿情報: けんじ | 2015年5 月 4日 (月) 11:37
伊那小の総合教育は、ここ数年でエスカレートしたようですよ。
自分も伊那小出身の親ですが、あまりのことに唖然としています。
今の担任はまだしも良心的ですが、低学年の頃は「ここは保育園か?」
と思うほどの惨状でした。
昔の「きちんと勉強していた頃の伊那小」と今はかなり状況が違うので、
一緒にされても困ります。
私も伊那小出身ですがトップ高に入りましたし、学歴はそれなりです。
ン十年前(あるいは数年前?)まではちゃんとしていたのですよ。
ここは伊那小に批判的な書き込みをすると反映されないそうで
現状を書いた人が「ここは言論統制されているようだ」
「伊那小に都合の悪い書き込みは反映されない」と言っていました。
この書き込みの封殺ですかね?
こちらも悪気はありません。以前のように
きちんとやってくれれば何の文句も言いませんよ。
投稿情報: ささ | 2015年8 月 5日 (水) 10:45
伊那東小に通っている知人に、現状を愚痴ったところ「越境してくれば?」といわれました。
その人は実家が伊那小の学区内にあるのですが、伊那小を避けて東小の学区内にアパートを借りて住んでいます。
自分はローンも残っていてそこまでするほどの財力もないし、越境入学は原則禁止なのでどうにもなりませんが、塾に通わせてなんとか凌いでいます。
現在伊那中で勉強できる子は皆、小学校から塾に通っていた子たちです。塾に行っていなかった子は、基本的な計算が出来なかったり簡単な漢字も書けなかったり、字が異常にヨロヨロして汚かったりで驚かされます。
きれいごとばかりではないのです。
投稿情報: ささ | 2015年8 月 5日 (水) 11:04
私も伊那小の出身です。私が通っていた頃から総合学習は続いています。小学生の頃は教科書を開いた記憶がありません。テストも通知表もないし、授業の開始や終わりを知らせるチャイムすらない。すべては生徒と先生の自主性に任されています。
小学生のうちは楽しくて仕方なかったです。だって、いわゆる机に向かった勉強というものはなく、リスやチャボを飼ったり、畑仕事や田んぼに出かけるフィールドワークばかりでしたから・・・(苦笑)。だから、中学に行って慌てました。織田信長や徳川家康が何をやった人かすら知りません。授業時間中、机に座っていることの違和感。授業についていくのが必死で大変でした。ですから、自分の子どもが同じ小学校に通うことになった時、学校側にはしっかりと勉強をしてもらうように期待しました。
ところが、実際に子どもが通い始めてその考えは変わり始めました。確かに、勉強は私の時代の頃よりは多少はまともに行わるようになっていますし、テストも頻繁に行われますが、総合学習中心の授業は相変わらずです。でも、子どもが毎日楽しそうに小学校に通い、総合学習で経験したことを嬉しそうに話してくれるからです。
その時から、小学校教育について次のように考えるようになりました。
・小学校は勉強だけをするところではない。
・健全な友達関係を構築し、基本的社会ルールを学ぶ。
・各種行事を通して自主性と協調性を育む。
・基礎学力は家庭学習の習慣化で培うもの。
だからこそ、いじめのような陰険な事象は即座に排除されて当たり前なのです。
私自身が感じた中学からの勉強の不安は、小学生のうちの家庭学習で習慣化すれば、和らげられます。私も小学生の時は家で毎日、物凄い分量のドリルをやらされてましたから、それが勉強に向かう癖をつけてくれたのは間違いありません。
投稿情報: fukken | 2016年9 月13日 (火) 07:48