私はかれこれ15年ぐらい前に初めて八ヶ岳に来ました。家庭画報に載った『ヒュッテ エミール』の取材記事を見て、八ヶ岳という地理を全く知らずに宿に興味をもって、泊まりに来たのが初めてでした。最初はエミールの迫力と内容に圧倒されて通っていましたが、そのうち八ヶ岳の希有なる環境に興味を持つようになり、真剣に移住を考え始めるようになりました。
その頃は私は広島で飲食店を経営していて、絶好調な頃でした。でも、八ヶ岳で暮らす意味を考えるうちに、スパッと踏ん切りがついたんですね。八ヶ岳に行くと、自然に暮らさせてもらっているんだな…という実感が、ガンガン来るんです。
毎日、何気なく歩く道、通勤で走る風景、毎朝窓から飛び込んでくる風景。何もかもが、毎日違う。それも、完璧な、自然の演出によって変化していく…。広島にいるときは、毎月数枚はCDを買っていました。自転車に乗っても、乗り物に乗っても、何か仕事をしているときにも、音楽をかけていました。ほとんど起きているときは音楽がある生活だったんですね。ところが、八ヶ岳に来ると、何もいらない。泊まりに来たときも、車を降りて、一晩うたかたの宴を楽しみ、翌日帰り初めて、伊那谷の風景を眺めつつ、恵那山トンネルに入って初めてカーステレオを消しているのに気づく…そんな自分に気づいたんですね。
エミールの客室にも有名な書家の先生の手による額がかかっていますが、蘇東坡の詩に『渓声便是広長舌…』というのがあります。後になって、この詩の意味を知りましたが、まさにその通りと思いました。
実際、八ヶ岳に来てからという物は、ほとんどCDやDVDを買わなくなりました。年に一枚ぐらいでしょうか。お金をつぎ込んでいたステレオも、ぱったり使わなくなり、現在はシンプルにTimeDomainのyoshii9のみで時々鼓童を聞くぐらいです…。朝から、窓を少し開ければ鳥の声が響き、緑の擦れる音が流れてきます。これが最高のBGMですね。
夜になれば、新月の時は自分の足も見えない程の暗闇。満月に近づけば、木々の陰がはっきりと写る程の明るさ。
八ヶ岳に来て、日々の移ろいや、自然の流れをガンガン感じながら、生活できる。その上に、日本でもトップクラスの日照時間の長さ、乾燥の度合い等々の恵まれた気候環境が相まって、本当にありがたい場所に移らせていただいたなぁ…と思っています。
そんな八ヶ岳。間違いのない高原生活のために、私たちが豊富な経験と情報量で、皆様のお手伝いをさせていただくことで、お返しができれば幸いです。お気軽にご相談ください。
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